2013年04月14日(日)

決断するのは今でしょう”

趣味で始めたテニスは格好良くメタポと成人病予防に役たち茅ヶ崎の湘南ローンテニスクラブにて40年ほど続けていますがこのままでは続行不可?岐路にいるのです。
数ヶ月前より右肩に激痛を感じ思い切ってMRI診断受診、右肩鍵盤断裂と診断されてしまった。
右肩激痛は現役大工の棟梁としても、アマチュアのテニスプレイヤーととしても、睡眠中も耐えられない苦痛ですが、手術に踏み切るには73歳の年齢を自ら如何に考えるか、リハビリ含め12ヶ月の活動セーブと経過観察が如何なるものか悩むところです。
痛みを鎮痛剤で止め控えめの活動を続けるか、一年間のブランクを覚悟で手術に踏み切るか思案の真っ最中、決断するのは今でしょうと、岐路の方向はいずこへか?
肩はだめでも足があり頭脳は明瞭なりだが、このまま復帰をあきらめるのにはまだまだ若すぎるとも思う身の程知らずの昔鍛えた棟梁なのです。

2013年04月14日(日)

行動するのは今でしょう” ・贈る言葉と・送られる人。

贈る言葉
・人は皆、自分の健康は自分の責任で管理するのが義務、行動するのは今でしょう。
送られる人
・健康診断を一度も受けずに腹痛を訴え自ら居住地の東京で緊急入院をし余命三ヶ月から六ヶ月と医者より宣告されていた娘たちの母親でありる元妻を看取って二ヶ月余、盲腸癌から大腸に癌は転移していたが気丈であった故人は、延命治療を望まず希望に添い湘南の地の緩和病棟にて余生を過ごすことになり、元気なうちにと箱根の温泉を楽しみ愛娘たちと代わる代わる想い出話に花を咲せたのでした。
旅立つ前日のこと病室を離れる際には、ベットからかすかに手首を振り、”ありがとうね”の言葉を境に、”やすらかな眠りに入り、翌日には家族全員に看取られながら”千の風”にのって大空に召され舞い上がって行きました。
自然を愛し樹木葬を望んでいた故人は大岡越前の守の眠る窓月山 浄見寺に墓所を構えている。
すべての行動を控えて来ましたが、喪の明けた今73歳の私はあらたなる何かの為に行動を起こさねばと今できることから始めます。
ブログ再開もその一歩、そう今”でしょう。

2013年01月14日(月)

初雪や、心をいやす、初雪や

昨年暮れから正月に掛け例年通りスキーに出かける予定でタイヤをスタットレスに換えたのだがタイミング悪くスキー場へは行かれず仕舞い、10日間の休暇はテニスに2日と映画(レミゼラブル)鑑賞後は年末に配り残したカレンダーを年始回りで配布等して休暇を消化してしまったので、スキーの為わざわざ冬用タイヤに交換したことが心残りであったが、今日の雪がその気持ちをいやしてくれたのです。
夕刻になり雪も峠を越したようなので弊社前歩道、向こう三軒両隣り50mほどを、急こしらえの特性雪かきグッツを駆使して道行く人の為歩道の雪かきを済ませた。
昨日の予報で予報士の話していた、スーパーコンピューター予測は雪ですが予報は微妙ですと冗談交じりだ話していたが今回の予測はコンピューターが勝ったようです。
正月気分も15日まで、明日からはゴールデンウイークまで満足な休暇もとらず弊社の社員並びに運命共同体の職人衆は自慢の腕をふるい新たな住まい作りに邁進するのです。
忙しいことは、嬉しいこと、もったいないほどありがたいことなのです。

2013年01月06日(日)

2013年初日の出&輝く初富士

我が家で迎えた初日の出、ほとんどを会社の職人用宿舎で家族ともども過ごしているのですが正月でもあり久々に我が家に戻り我が家上空40mより初日の出を待った。
寒さに凍え朝日を待つ6時50分ごろより東の空、明るい顔を見せる気配のあった日の出は残念ながら薄雲に隠れてしまったがその時西の空には、沈みゆく月と月下には朝日に照らされる富士山の姿が、刻々と輝いてくるのが見られたのです。
今年はどのような年になるのか気にかかる夜明けですが、反面とても楽しみな一年の始まる時でもあります、ちょうど今年の初日の出と初富士の輝きが象徴しているようです。



2012年12月31日(月)

光陰矢の如し

2012年12月31日今年も1年の締めくくりに大雄山最乗寺奥ノ院へたどり着くことができた。
大雄山とは天狗像と履物の特大下駄が奉納された開創以来6百年の歴史をもつ関東の霊場として知られ、境内山林130町歩、老杉茂り霊気は満山に漲り、堂塔は30余棟に及んでいる森林の中の寺なのです。
職人、商人にゆかりのある寺とも言われ、特に信仰心があるわけではないが気が付いてみれば参拝は飛び飛びではあるが今年で26年目をむかえたのでした、特に寺への願いことを求める祈りはしないが一年の無事を奥ノ院にたどりつく努力を通し、加齢のバロメーターとしているのが唯一目的であるのです。
参拝のきっかけが何であったかは記憶にないが、(株)加賀妻工務店創業当時のスタッフ全員を引き連れ夕闇の大雄山参りを果たしたことがそんなに昔のことのようには思えないのです。
当時もファミリー企業で社長の私を筆頭に、出稼ぎ職人の世話を担ってくれた今は亡き母、弟(現ハウス建設社長)、妹(現弊社役員)、私の二人の娘(現弊社役員)、孫(現弊社職人心得)
その他社員、大工職人ら会社を創業より支えた総勢25名ほどが整然と本殿から奥ノ院までの300段強の石段を駆け上がったのです。
当時1歳だった孫を抱え奥ノ院へ向かい300段強の階段を一気に駆け上った私の健脚も今年の参拝では喘ぎ喘ぎたどりつけた始末ですがへこたれているわけではありません。
会社は加齢とともに体力をつけ現在に至っています、私も加齢とともに一回り大きな人間味ある棟梁を目指し、生涯現役努力を重ねていくという、志しを持ち続ける所存なのです。
私の周りには大きな志の人がたくさんいますが、今年一番尊敬に値する人物は茅ヶ崎市市役所から東日本大震災復興支援に自ら志願された0さんであるとおもいます。
いずれ訪れるXデーにはOさんの志が!努力が!生かされ多くの被災者が救われる事でしょう。
Oさんご苦労様、カウントダウンの始まったXデーまで志を捨てず頑張ってください。
今テレビでは紅白白組の美輪明宏さんの歌う、よいとまけの歌が聞こえています、母ちゃんの働く姿みた、と歌っています。
(よいとまけとは未だ建築重機のない時代、地盤を固めるため大きな丸太を8人ほどの土方と呼ばれる人足がやぐらの上へ吊り上げ地面に落下させ、杭を打ったりして固まった地盤の上に基礎を作る作業のため、力を合わせる掛け声代わりに歌った歌がよいとまけの歌で引手の人たちが即興で作る歌でした)子供の為ならえんやこら、おっかさんのためならえんやこらと、歌いながら心を一つに一日中綱を引き丸太を吊り上げては落とす、よいとまけの歌と作業を繰り返すつらい苦しい作業と歌の事です。
私も幼いころ、戦死した父に代わり家族を守る志の元、土方として苦労し家族を守ってくれた母のよいとまけの働く姿を見て育ち、引き継いだ志で現在の加賀妻工務店があるのです。


2012年11月05日(月)

茅ヶ崎市恒例の消防フェステバルのお手伝い

11月3日茅ヶ崎市市役所駐車場と隣接の電源開発において消防フェステバルが開催され消防車やはしご車救急車などに子供たちを中心に家族が体験搭乗し好評を得ていた。
車両の搭乗口脇では地震の揺れを体験できる起震車が設置され阪神淡路大震災レベル(震度7)の揺れを体験しているのを眺めながら、この揺れにあったなら住宅はどこまで耐えられるのかと考えながら震度7の迫力、まだ経験したことのないことが現実に勃発したら、あわてずに、ただ収まることを祈るのが私たちにできる最良の安全策であるように思えた。
起震車の手前にはかがつまで提供した家具の倒壊防止啓蒙模型が展示され興味を持たれていた。
別のブースではタイアップ90のスタッフが液状化の模型説明や、非常食の試食コーナーを設置しこちらも好評を得ていました。
耐震補強を施していない住宅では1階よりは2階の倒壊率は少ない、耐震補強の済んでいる住宅であればいずれの部屋にいても倒壊からは身を守れるのではと思います。




2012年11月04日(日)

建築端材で体験マイ箸作り備忘録

茅ヶ崎市中央公園で行われたふれあい祭りのイベントに参加することができた。
私のお役目は大工職人の技術を生かし建築端材を利用して箸用木材を提供し箸つくりの体験を多くのファミリーに実施指導することです。
幸い弊社は自然素材をふんだんに使った住宅造りを得意としているため使用する木材も産地を特選し、高級和風住宅、数寄屋茶室に使用される紀州材を厳選し使用しています。
自然遺産熊野神社に隣接する山林から伐採された年輪100年スギや、ヒノキ材、通常のルートからでは入手できない木材を朝日住まい造り協同組合匠の会(朝日新聞社が購読者のために技術と信用に支えられた工務店を厳選、朝日新聞購読者に紹介するために作られた格式ある協同組合)
の名のもと高級な建築用材として特別に伐採された木材を入手できるのです。
今回の試みは日ごろは手にするチャンスのない、本職が使うカンナを使っての箸つくり体験です。
マイ箸に使用する木材は多種あり、堅木(かたい木)を使う場合はカンナを使わずに小刀やヤスリを使い箸を形作るため箸一膳(一組)を完成させるのに1日かかりとなります。
今回はカンナ使いに不慣れな幼児から一般成人老若男女と不特定多数の人に短時間で箸つくりを体験していただく為に加工しやすいスギの柾目(数寄屋茶室に使用した木目の通ったスギの端材)
を使用することにより短時間に多くの人々にマイ箸つくり体験をしていただくのが目的です。
準備した半加工の箸80膳のすべてが加工され消えてしまったことは多くの人が体験したことになり、加工しやすさを優先させた今回の木材選びには間違いはなかったと思いますが、実用的にはスギ材は水分を吸い込むと柔らかくなるのです。
箸は乾燥した状態で使用し、箸先の太さを4ミリ~5ミリに抑えなければ破損する可能性が大きくなることを関係者に伝え損ねてしまったために、体験者の希望もあり箸先を3ミリ以下にまで削り込んでしまった箸が目を引いた。(水分を含むと木材によっては箸先が破損する可能性大)
マイ箸を大切に持ち帰った人達の中には箸先を破損させ、がっかりしている人の姿が目に映り今更ながら私の言葉足らずに後悔し責任を感じているのです。
今回の箸のサイズは標準サイズよりは2センチほど長く加工してあるので気が付いた人は破損した箸先を鋭利なカッターで、ころころ転がしながら切断することにより破損しない実用的なサイズの箸先を確保できるので挑戦してほしいのだが。
今回の箸つくり体験、イベントとしては合格点、実用的箸の提供ということでは落第点と自己評価。
次回は難易度をあげ材質を別種としてみよう。
写真添付は後工程で


2012年09月17日(月)

不入斗中学クラス会横須賀で開催・ツイッターに願うPR

妥協を許さない仕事の鬼の棟梁も人の子、プライベートのつぶやきで恐縮です。
昭和29年卒業(平井・石塚クラス)クラス会開催
2012年10月9日13時横須賀市本町にて会費5000円にて開催します。
卒業時58名のマンモスクラスでしたが今回発送できた案内は40名強
転居先不明者、すでに他界された友人達、今回も1名が心筋梗塞で他界、恩師の先生方は健在。
1名が認知症を患っているが参加したいとの本人からのうれしい一報あり、暖かく迎えたい。
返信のあった現在までの参加者は10名、不参加者12名、宛名場所不在5名、残りの返信に期待。
人生いろいろ、中学時代あまり目立たなかった私が卒業後58年たった今では万年幹事を仰せつかり3年ごとのクラス会を存続させているのですが年を追うごとに名簿の発送が少なくなっていくのは寂しい限りです。
クラスメートの減少から、次はクラスの枠を超えた合同の同窓会を開ければと願っています。
そこでお願い
ツイッターでフェスブックでつぶやいたください。
29年度不入斗中学卒業生の情報をいただければありがたいです、クラスの枠を超えての同窓会が開ければ最高です。
情報提供者、賛同者、協力者、スポンサー,是非ご協力ください。
ちなみに歌手の山口百恵ちゃんは同行の卒業生です。
情報提供先アドレス boss@kagatuma.co.jp  nkagatuma-@docomo.ne.jp 加賀妻

2012年09月16日(日)

NHK 朝ドラ 梅ちゃん先生

NHK朝のホームドラマ梅ちゃん先生はと墓飛びではあるが楽しく見ている。
朝昼晩とそのときの仕事の都合で見られる時間帯は様々ですが背景になる時代が物心ついた頃で、懐かしく記憶に残っていることが多く、終戦前後の大変な時代に幼かった私達や、戦争未亡人になった母やその兄弟を身を削りお世話してくれた祖母、祖母なき後を引き継いで私たち兄弟を育ててくれた我が母きよちゃん加賀妻の名を授け残してくれた釣り好きだった父三之助や義父の、のんべい武おやじ、お世話のなった恩人達の生きた人生の後半を描いているのが梅ちゃん先生の時代背景のようで興味を持って見ているのです。
ちなみに集団就職で故郷の村から町工場へ、住み込み就職をした秀才少年光男君は私と同世代を生きているようです、その彼が夜間高校へ入学できるようになった年がドラマの中では昭和34年、民間から天皇家へ嫁ぐ美智子妃殿下、世の中全体が祝福で賑わっていた時代です。
私が大工の修行を終え年季奉公から解放され年が同じく昭和34年、20歳の春でした.
ドラマの光男君と同じく夜間高校へ、大工の免許皆伝となりやっと自分の力で学校へ通えることになり入学したのが工学院大学付属高校の夜間部でした、20歳の私が15歳の同級生と一緒に学んだことが懐かしく思い出され,光男君の入学許可には涙をにじませ見ています。
もう一つの心に響く言葉、大学教授の梅ちゃんの父親が悟った、若い人に道を譲るという言葉、同じ志を持ち同じ志を貫こうとしている、部下であり教え子である青年松岡医師の存在
引退を決めたが生涯現役を決め新天地に旅たった大学教授、梅ちゃんの父親に親近感を覚えるドラマの終盤なのです。
このドラまに続く現在、バブル直前から総量規制そしてバブルの崩壊~現在に至り彼らは如何にたくましく生き残れているだろうか?町工場の現状を思うに気がかりではあるが賢い光男君の活躍で下町でロケットを作り飛ばしている、ベストセラーとなった単行本・下町ロケットの主人公が町工場の安岡製作所の人たちなのかもしれない。
ちなみにスクリーンを走り回っているミニカーはダイハツの軽三輪自動車ミゼットです。
すでに製造停止絶版となってはいますが私の愛車もまたダイハツのミゼットなのです。

2012年08月16日(木)

今年の富士山登頂記録と未来へのひらめき

次回のために、
2012年8月9日5時事務所付属の住まいを出発徒歩にて茅ヶ崎駅へ・5時20分の熱海行きに
乗車、国府津駅にて御殿場線・沼津経由熱海行きに乗り継ぎ・7時20分御殿場駅より須走登山口に・8時10分到着・腹ごしらえの時間を使い身体を高所にならし高山病に備え登頂開始時間は9時とした。
本七合目には12時50分頂上には16時50分。休憩時間延べ1時間行動時間延べ7時間合計8時間を要した登頂であった。
下山は5時50分須走登山口9時10分 下山には3時間20分を要した・頂上宿泊費夕食カレー付7350円・ペットボトルのドリンク7合目では550円・頂上では500円・豚汁700円・トイ使用200円。
以上であった。
69歳より始めた富士登山も今年で4回となり年齢も73歳となり年齢を重ねるごとに体力の限界をつくずくと感じる登山です。
20年ほど前であるが母70歳ごろに訪れた富士山では社員と二人で母を支え、。7合目まで登頂豪雨のため登山登頂禁止となり断念したことがあったがその時の母はとても気丈であり登山の断念を訴える我々の意見に、私は死んでも登るよと一人頑張ったことがふと思い出された一人登山です。
あのころの登山道はたばこの吸い殻が登山道に捨てられ、闇夜の登山道はたばこの吸い殻をたどりつつ道を見誤ることはなく、山小屋の裏手にはトイレから垂れ流した汚泥と溶けかかっているトイレットペーパーが山肌一面に散らかり、遠目には白い花が一面に咲き誇っているかと錯覚をしたものでしたが、最近の富士山は自然遺産登録を意識してか、ごみひとつないきれいな富士山にうまれかわっているのです。
母の年齢を過ぎての登山はとても苦しい登山ですが目標を持ち、日ごろから体力維持に心がけていくことが次年度への登山決行の礎となり、生涯現役を心がけている自己への戒めと決めているのです。
登山から5日目となりやっと疲れも取れたようですが来年の苦しい登山計画は白紙の状態なのです。
過去3年間の登山は満月の日に午後からの登頂を目指し深夜頂上へ、日の出までの数時間を厳寒の富士山の頂上で多くの登山者とそれぞれの方法で凍えながらの野宿、ご来光後に下山開始・7合目までは吉田口へ降りるデモ行進並みの人波で団体バスツアーの登山者と下山道を降りるのですが4時間かけて喘ぎながら登った標高差を50分足らずで下山するのです。
7合目の分疑点から須走下山道に入りしたすら火山岩と砂交じりの急こう配を5合目めざし駆け降りるのですが、普段使われていない足腰の筋肉がパンパンにはれ上がり苦痛をこらえての2時間強の下山であります。
今年の登山計画は頂上の山小屋に泊り寒さをしのぎ体力を温存してお鉢周りまでを計画していたのですが、山小屋の夜具は冷たく水分を含んだ45センチの敷き布団に2名で1枚のかけ布団実際には畳2枚(1,8m)に男女の差別なく5名の他人様が雑魚寝させられる有様でした。
19時の消灯でしたが多くの人たちは眠れずに体調を崩していった様子でした。
気分が悪い、はきそうだ、寒い、等々ささやかれる言葉やスプレー缶より酸素を吸い込む音等に、ほとんど一睡もできないような苦痛を山小屋内で味わったことは返す返すも残念であった。
富士山は世界の登山者が訪れるば場所ですから山小屋とはいえ今少しの配慮が経営者には必要ではないかと考えさせられたのでした。
眠れないまま今後の工務店経営の行き先を考える時間が持てたことは不幸中の幸いでもありました。
禍転じて福となり、カガツマの将来あるべき指針が、ご来光を待たずして、ひらめいたのでした。