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加賀妻のつくり手たち
それが加賀妻工務店の宝物、
一番大切にしていることです

弟子を育て、心を磨き、人を育てる、喜びと苦労を経験してこそ、礼節献上の精神が宿り、お客様の気持ちになって仕事ができる。お客様に喜ばれる事が自分自身の喜びと素直に自然に身につく。心と技があってこそ、加賀妻工務店の大工棟梁たる証しと考えています。

小学生の男の子に「将来は何になりたいか」を問うと、上位に必ず「大工さん」が出てきます。しかしながら、大工の就業人口は1990代の701万人から2005年度では55万人と激減の一途をたどっています。
工務店の大工の仕事は「造ること」、ハウスメーカーの仕事は「作業すること」大手ハウスメーカーや建売業者も家を売ることばかりで、大工を育てることはしません。若者が修業を積み、大工になれる道は私達のような工務店しかありません。

現在6名の大工が育ち、ノミ、カンナの歯を研ぎ、墨を打ち、額に汗して、頑張っています。是非応援して頂きたいです。
加賀妻は大工がいるから工務店を継続出来ています。宝物です。歳をとったら、リフォーム工事を担当します。
何十年と安心して長く勤められる環境を目指しています。新築工事当時の大工さんが、その同じ大工さんが、末永く家守りをしています。工務店本来の姿勢です。



平成07年、加賀妻工務店へ 平塚市在住 親方は近藤勝則

加賀妻工務店で修行をさせていただき、今一人前になり、現場を任せてもらえることにとても感謝しています。修行時代に辛いと思ったことはありません。明るい未来だけを夢見てひたすら、一生懸命やってきたからです。

加賀妻工務店は下請けをせず、大工になりたいと願う若者を受け入れてくれる、すばらしい工務店だと思います。「加賀妻工務店の自慢はズバリ、現場で働く職人さんたちです。」と胸を張って言えます。

大工になった理由は物造りが好きだからです。現場の大工仕事は多いです。工期は掛かります。週末に現場に楽しみに来られるお客様と沢山の話ができます。とても愛着がわきます。

柱や梁を隠さないで、見せる、木や漆喰や珪藻土に囲まれ家、綺麗な空気に包まれた気持ちの良い生活は最高です。加賀妻の設計チームが良いプランを考えてくれます。それを型にするのが我々大工の仕事です。

弟子に対しては、ただ図面通りとか、やりやすいからではなくて、どうしたら格好良くお客様の使い勝手が良くなるのか考えながら造れる大工さんになってもらいたいです。プロとして常にお客様の100点を超える評価をしていただく仕事を目指しています。お客様に喜ばれる仕事を心がけています。

[先代社長から]
先般、お蔭様で、長男の就職が決まりましたと、きちんと挨拶が出来る加賀妻工務店で育った最初の大工さんです。毎日朝目が覚めて、大工仕事が出来る事が楽しくて、楽しくて、と言ってくれます。弟子(小林大工)を育ててくれました。性格は真面目、誠実。



平成10年、加賀妻工務店へ 茅ヶ崎市在住

大工になる事は中学2年の終わり頃に決めていて、迷いなく大工の専門学校に進み、そこで学んだ事はそのまま大工の道に全て役立つ物だと思っていた。ところが、いざ修行の道に進むと当初の3年くらいは建物の仕組みや材料の種類、強度、学校ではなかなか学べなかった事に驚きや戸惑いであっという間でした。

やっと家づくりとはなんたるかを分かりかけた頃に、親方から年季明けと言われ、6年目の一年間はお礼奉公を勤め。家は造れるがその道をどこで活かすか迷っている頃、加賀妻工務店に出会い、そのまま仕事をさせていただけるようになりました。

この会社で自分はどの位出きるのか?どこまで認めてもらえるのか?初めは不安でいっぱいでしたが、一棟、二棟と携わるうちにその過程が自信になり、「あ、これは天職なのだ」と思うようになりました。

会社で7年ほどお世話になった頃、見習い原君を自分の下に付けると、会社から言われ、自分も勉強の為になると思い、快諾。その弟子、原大工は6年で一人前になってくれました。その弟子には、人に教える喜びを学びました。今では二人目の見習い松本君が5年目の大工見習いとして頑張っています。

建売とは違う、加賀妻の建物を明るい仲間とこれからもつくって行きたいと思います。

[先代社長から]
若くして修業を終え、若くして弟子(原大工)を育ててくれました。「自分の事で精一杯、弟子なんて無理です。」人を育てられてこそ、大棟梁だよと…丸め込みました。今では二人目を育ててくれています。とても器用な手仕事をします。頭の回転も良く。性格は、寂しがり。



平成15年、加賀妻工務店へ 寒川町在住 親方は近藤勝則

当時はいい学校、いい企業、いい暮らし、という世の中の価値観を感じていました。必死に勉強しました。裕福ではないと、思えたからです。今思えば高校へも通わせてもらい、部活動もさせてもらえました。当時は劣等感と他の皆とは違うのだ、という疎外感の魂でした。焦っていました。

中学から年齢を偽って長期休みにはアルバイトをしました。一日中コンクリートガラの担ぎ出し、病院の使用済みオムツの処分、アスベスト断熱の除去なんでもやりました。高校ではほとんど勉強が馬鹿らしくなり、卒業してから運転手をしました。当時バブル経済破綻の残り火状態で昼も夜もなく働きました。母親、2人の妹の為、必死でした。自分は1日500円で生活をしていました。絶望感しか有りませんでした。自分自身の価値というものを感じなくなりました。

そんな時たまたま、西岡常一という薬師寺再建の棟梁の話を目にしました。宮大工と民家の大工の違いも分かっていませんでしたが憧れました。大工について興味を持ち始め、何の文献かは忘れましたが、工人に名前はいらない、造った物が残り、その物こそが工人の生きた証だ。というような主旨の文を目にしてこれしかない、と思いました。

運転手をしながら、使い道もない安いカンナを買い研ぎまくりました。現実には宮大工など論外という程手遅れ、住宅大工で面接に行けば鼻であしらわれる歳でしたが自信はありました。初めて仕事という物に熱い思い、志を持ちました。二度も門前払いなんて、加賀妻さん、損したな、と思うくらい自信はありました。自惚れですが、薬師寺も西岡棟梁が造ったわけではありません、実際には名のない工人が造っているのでしょう。スケールは違いますが、そんな大工になりたいです。

何十年か後、解体されるとき、どこの誰が造ったか知らないけど丁寧な仕事をしているなぁ・・・と、どこの知らない大工さんに褒められたら本望です。加賀妻工務店って言うのかぁ。いい大工さん抱えてたんだなぁ・・・と気持ちを込めて造っています。とか、言わなくても一年点検で喜んで頂いている様子を見るだけでいいんです。


[先代社長から]

「修業の身の給料では家族は養えない、諦めろ。」と断ってから2年後に、どうしても大工になりたいと、諦めることは出来ないと、よく辛抱したど根性の持ち主です。性格は自分の道をひたすら行く。頑固一徹。



平成18年、加賀妻工務店へ 茅ヶ崎市在住

今まで以上にお客さんの思いを胸に、一生懸命ひとりひとりが良い仕事をし、喜ばれる建物を造っていきたいです。


[先代社長から]

親方は実の父親、体は大きいが、繊細な仕事をする。大工職の幹事的存在。若い大工にきちんと注意ができる、正義感を持っています。性格は明るく朗らか。



平成17年、加賀妻工務店へ 平塚市在住 親方は岡野雅春

家をつくりたかった。親方は岡野大工、親方は一人しかいないので比べられませんが、親方が「親方で良かった」です。

修行時代は、大工仕事が好きだったので辛かったことはあまりありません。色々な修行時代の出来事を皆でいるときには話に出てきて、思い出し笑いになり、盛り上がります。今では全部が良い思い出です。

慣れた今では、お客様の喜びや感動がとても自分の遣り甲斐と嬉しさになる事を学びました。大工になって月日が経ちましたが、「何も無い所からこんな物造っちゃったと」、今でも思うことがあります。やっぱり凄いことなのだと思うので、これが私のプライドです。

加賀妻工務店の大工はみんな本当に良い仕事をすると、つくづく思います。この先どうなっても、家族・友達同様、つながっていたいと思います。それほど良い関係だと自分は思っています。


[先代社長から]

ものつくり大学卒、今年第一子が生まれ、お父さんになりました。人の付き合いをとても大切に出来る若者です。気持ちが仕事に出ています。口数は少ないはにかみや、性格は物静かで、涙もろく、明るい。



平成20年、加賀妻工務店へ 藤沢市在住 親方は石田昌宏

一人前となり、親方石田大工から独立して仕事をするようになり、段取りの難しさを感じています。親方は先のことまで考え、前もって段取りをしていたのでとてもすごいなと思いました。

親方はいつでも丁寧な仕事をしていて、弟子の頃の私に、「焦らなくていいから、丁寧な仕事をしろ」と言われていました。綺麗な仕事をしたいと思っていた私にはとても合っていた教えだったと思います。スピードが求められるなかで「丁寧な仕事をすることを第一に考える」という親方に教えていただけて、とても感謝しています。

子供の頃から物を造ることが好きで、実家のリフォームに来た大工さんに憧れて大工になろうと思いました。

加賀妻工務店の大工はみんな仲が良いです。上棟の時など、みんなが集合し仕事をするときは、何も言わなくても、お互いに作業を進めて行けますので、とても効率が良いです。加賀妻工務店の仕事は、細かい大工仕事が多く大変ですが、造る手順や方法を自分で考えることができることが面白いです。

刃物はいつでも切れるように研いでおく、いつでも丁寧な仕事をする。良くない材料は使わない。



[先代社長から]

ものつくり大学卒、修業時代から遊びに浪費する事無く、少ない給料の中、コツコツ貯蓄し大工道具を買い揃えていた。性格は礼節献上の精神を身につけた若者。彼の姿勢を見て親方は石田君と決めた。性格は素直で明るい。


平成23年、加賀妻工務店へ 寒川町在住 親方は岡野雅春

小さい頃から物づくりが好きで、サッカー選手の次になりたかったのが大工です。怪我でサッカーの道は諦めましたが、迷わず大工になろうと思いました。

加賀妻工務店での仕事は同じ家がひとつも無く、毎日楽しくやらせてもらっています。化粧の樹がとても綺麗で樹の温もりが感じられてつくっている自分にもとても気持ちが良いです。

加賀妻工務店の大工さんたちは皆仲が良く仕事だけでは無く、食事や飲み会をしたり、バーベキュウや旅行に行くくらい仲が良いので、とても明るく楽しい職場です。

親方の岡野大工とは、私が入ってきた時から丁寧に時には厳しく時には優しく教えてくださっているので毎日が楽しく、勉強の日々です。仕事以外でもとても面倒を見てもらっていることにとても感謝しています。

仕事やそれ以外にも学ぶことが沢山有り、これまで毎日楽しく仕事ができているのも親方のおかげです。お客様にとって家を持つということは人生で一番大きなお金を使うことと思うので、お客様、そして御家族が一生快適に安心して楽しく明るく住めるように、真心を込めて綺麗に住みやすい家になるように心掛けています。


[先代社長から]

修行中、親御様にも会わせて頂きました。「本人が決めたことですから」と、自分の世界観を持った若者、「怪我だけはするなよと」私はそれだけを注意しています。やる気のある子は細かいことを言う必要は有りません。大きな怪我だけが心配です。



平成11年、加賀妻工務店へ 藤沢市在住

弟子(石田大工 有川大工)について、造る楽しさを伝えて行きたい。自分は一軒一軒、初心の心で造って行きたいと思います。


[先代社長から]

二人の弟子(石田大工・有川大工)を育ててくれました。父親も大工道一筋、筋金入りの職人。「俺の仕事に文句はいわせね~よ。」頼もしい存在です。大工の長として良きアドバイスをしてくれます。性格は生一本。




これからの仕事と言うより、大工のあり方、親方及び棟梁としての自覚をもつことが今の時代では無理になってきていますが、若い子には自分の過去・経験を教えていきたいです。ただ決められた物を作るだけになっていて自分の意見が通らなくなっていますが、今後も会社には、施工者の立場でアドバイスしていきたい。弟子には、どこに行っても加賀妻の若い人はすばらしい腕が有ると言われるように指導して行きたい。







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