明日は富士山にチャレンジ

富士山への挑戦は母がまだ健在だった15年ほど前からである。
1日の仕事を終えた後20時頃より多人数で登り始めるのだが決まって同行の誰かが高山病になりリーダーであった私が付き添い下山、5合目の駐車場にて夜を明かしたものでした。
当時は茅ヶ崎のライオンズクラブが、カナダエドモントンライオンズクラブと姉妹提携をしていたこともあり、夏の間はホームステーでカナダより青少年達を我が家に投宿一月ほど日本の生活を体験させ、茅ヶ崎からも又カナダに子供達を送り出していたのです。
弊社現社長婦人である娘も当時夏の45日をカナダエドモントンに招かれた経験者なのです。
ある年のこと、カナダの広大な山岳を知る彼らの希望もあり富士登山を体験させることになり同行したのですが彼らの常識からは小さな山、富士山をなめてかかった登山だったのか、早々に高山病にかかってしまい5合目駐車場まで下山し体調の戻るのを待ち茅ヶ崎へ戻ったこともあったのです。
心に残る富士登山は弊社社員であり私のテニスのコーチでもあったS君と私とで母を伴い富士登山にチャレンジ、夜間行動で頂上を目指したのですが晴天であった星空が8合目あたりで突如豪雨となり登山をやめるよう母を説得したのですが、私しゃ死んでも富士山に登ると聞き入れず渋々9合目を目指したのですが、幸か不幸か登山道に頂上への登頂禁止パリケードが張られやっとの事で深夜の山小屋に避難、翌朝まで続いた豪雨のため登頂を諦め母を説得して須走5合目を目指し母を両脇から支え飛ぶように下山した時のことは今でも忘れることない。
母との富士登山はそれが最後となってしまったがその後の登頂の時には母の遺影を持ってご来光を迎えたことで母も本懐を遂げ満足してくれたであろう。
この24日には私も母の登山年齢に近い72才になります、昨年は孫の雄介、一昨年は同じく孫の颯君と登頂、今年は単独登山となってしまい一抹の不安はあるものの・2011年8月11日午前中は現場周りで12時帰宅・18時より須走口から単独で頂上を目指します。
18時須走5合目、21時7合目、24時8合目、25時9合目、26時頂上、登頂でき運が良ければ、5時ご来光、正午吉田口よりバス乗車新宿へ、めでたく帰宅できれば茅ヶ崎スーパー銭湯で砂払い。
2010年は登頂中の苦しさから2011年はもう登山はやめようと決めながらの登頂でしたが達成した下山道では既に2011年は須走から登頂して吉田口へ向かい下山する計画を描いていたのです。
今年からは年齢を考え、無理せず登れる処まで登りそこで野宿をするつもりで寝袋持参なのです。
山小屋も深夜の宿泊は不可、他の登山客の迷惑を考え受け入れを拒否されてしまうことがあるので宿泊の場合は17時迄には宿にたどり着くことが必要なのです。
年齢相当、充分に時間を持っての計画のつもりです。