東北新幹線青森へ明日に到達

青森には多くの思いがある。
青森には戦時中~終戦にかけて疎開、六才の時である。
祖母に付き添われ母、妹、私は17時間をかけ青森駅へ、私が乗り物酔いで苦しみ祖母と母、周囲の乗客に介抱された事を思い出した。、
下宿屋を営んでいた母の実家で、人間魚雷で死地へ向かっていった少年兵の世話をしたご縁で、その少年兵の故郷青森県黒石の農家の納屋で、戦中~終戦までお世話になったきっかけを、母より聞かされ自分がなぜ青森で暮らしていたかを知ったのでした。
少年兵は帰らぬ人となり祖国のために海の藻屑となり、私の父はニューギニアで戦死。
そのような悲しい時代を生き抜いて15才で東京で修行奉公明けて茅ヶ崎に根を張り、23才で加賀妻工務店を設立した頃、バブルはじけて茅ヶ崎に出稼ぎに来て、悪徳手配師にだまされ途方に暮れていた青森県鰺ヶ沢の労務者集団を10人ほど、まとめて面倒見たことがあり、彼らは見事に立ち直り社会復帰を果たし感謝されたこともあった。
彼らはその後青森に帰り、リーダー格の人は今では政治家として議長を務める程の人格者となり活躍をしていますが、当時の恩を忘れずか今でも季節ごとに収穫した様々な物を送り届けてくれるのです。
上野より一七時間かかった青森も新幹線の開通により明日からはわずか三時間強でたどり着く時代となり、母が健在であれば昔を偲び黒石や鰺ヶ沢へ連れて行けたのにと母を偲んでしまった。
「何処かに故郷の便りを乗せて走る列車の懐かしさ」と、歌のようにそんな時代を走り抜けた東北本線と自分の人生がラップした今日のニュースでした。