妻と訪ねた直江兼続生誕の地

10年予共にしたメルセデスベンツE320と別れ、ETC搭載の三菱パジェロショウトボデー3800に乗り、割引高速料金一律1000円の恩恵を受け直江兼続生誕の地と言われている湯沢へ向った。
街道には直江兼続生誕の地ののぼり旗が至る処に立てられ誠の場所がどこであるのかは不明であったが、母を亡くした初めての夏休み、新盆の送り火をたき、待つ人のいなくなった家を初めて長期に空け飛び出した弾みで長岡を過ぎ新潟港へ、料金の高いフェリー(往復4万円)を諦め高速船(往復2名で2,5万円)にて佐渡へ、一泊泊まって佐渡金山を拝観し再び新潟港へ、佐渡金山で働かされていた人別帳から外された無宿人が一年間でたったの1日しか外の世界へ出られないと言うような説明を受け今は恵まれている自分と置き換え当時の労働者を忍んだ。
100年間で70トンの金を掘り出し平成になって採算割れから閉山となったことも意外であった。
拉致被害者のジェーキンズさんやその娘さんが社会復帰をし、観光関連の仕事に付かれていたこともご当地へ行って初めて知つたことです。
戻り際中越地震の折ボランテァで耐震調査協力をした、堀之内、小千谷、十日町、六日町の復興後を訪ね地震の爪痕が既に整備されその面影も見られないことに安堵、走行距離1000㎞(ハイオクガソリン120㍑・)を走り抜け帰路についた。
湯沢では踊り子を出筆した川端康成も入浴したと言う公衆温泉に入り疲れをいやした。
高速の割引のためか、新潟以外の車ナンバーが目立ち、CO2の排出量が気になった次第である。