1月17日は阪神淡路大震災から16年過ぎて(見聞録1)

16年前のこの日私は55才、震災の一報を年甲斐もなく岩倉のスキー場で知ったのです
一滑りして部屋でテレビのスイッチを入れ何処かの国の燃えさかる火事場、連なる高速道路の崩壊、我が国の震災と理解するまでには時を要した。
翌日になってもその状況は変わらず被害の全容が少しずつ明らかになってきたが火炎は鎮火せず街並みを焼き尽くし灰にしてしまった。
三日目になると余震や二次災害に備え倒壊を免れた建物の安全度調査が始められたのでしたが調査に携わる資格者《応急危険度判定士)が不足していることをテレビ報道で知らされ私は岩倉スキー場を達ち神奈川県県庁へ向かい震災地神戸への派遣を請いだが残念な事に民間人の派遣は事故の補償ができないのでと体よく断られてしまった。
しかし神戸には行かねばならぬ、その一念が通じたのか日頃のボランテァ活動がヒントとなりマスコミを通じ・アドラと名乗るNGOに接触、拠点となっていた町の教会に招かれ、その一員として救援活動に参加する活路が開かれたのでした。
早速危険地帯立ち寄りを担保とした旅行保険に加入、翌日には寝袋、ヘルメット、手弁当をリックザックに詰込み、応急危険度判定士腕章を腕に巻き、小田原駅より早朝の新幹線にて神戸に向かった、車中には人影がなく一人で貸し切り状態のまま大阪までは順調に到着した、車窓からは屋根を青いビニールで覆った数々の被災建物が視線の先にあった。
そこからの神戸への交通手段はかろうじて動く地下鉄を乗り継ぎ半ば徒歩で神戸にたどり着き、倒壊を免れた町の小さな教会に向かえ入れてもらえたのは早朝の茅ヶ崎を出てから14時間後の、日が落ちたみぞれ交じりの19時でした。
次回へ~
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