沖縄普天間基地に感謝、そして報いよう。湘南の平和の為にも

今日沖縄普天間基地が揺れている、優柔不断か無知だったのか鳩山さんが地に落ちてしまった日。
10数年間をかけてどうにか日がさしかけた沖縄普天間基地問題を暗雲の彼方に投げ出した責任は大きい、基地の町で育った私が鳩山氏の立場でいたら果たしてどんな解決策を講じられたであろうか。
私の父は終戦直前まで軍港都市横須賀で軍艦を造りその後行き先を知らされぬまま日本を離れ戦地へ行った父。
昨年20代で死に別れした夫の元へ(父の元へ)旅たった母より聞かされていたのは、激戦地ニューギニアのマノクワリにてマラリアにかかり戦病死したと?
遺骨は白木の箱に入った石ころだけ、物心ついていた私の記憶では白木の箱の中でころころ音がして何かが転がっていたことを今も覚えている。
現実の父の顔は記憶にはないが写真で見、目に焼き付いているので出逢うことがあれば一目で分かるであろう。
一昨年は父を偲び慰霊のためニューギニアに出向き父が見たであろう海山河に接する事ができたが、父の消息、情報は皆目得られなかった。
こんな境遇、父を戦争で亡くし基地の町で外人さん達と育った私であるから普天間を語る資格は充分にあると思います。
私はこのように思う、日本のためアジアの平和のためには沖縄のみならズ海兵隊さんの存在は絶対に必要です
今回は沖縄の一部の住民にはお気の毒、申し訳ないのですがこの際危険エリアの住民は集団疎開し環境の良い新天地に新たな町を作りませんか。
(東洋平和のためならば何で命が欲しかろう泣いてくれるな夜の虫)と歌って死んだ英霊を忘れないためにも、平和で暮らせる県外の私達は基地の町の痛みを分かち合う為私達でできる事、理屈や反対声明ではなく相応の負担金を税金と募金を義務化してでも引き受けて基地の町で暮らす方々に感謝とお願いの意をあらわそうではありませんか。