耐震フォーラム大成功裏に

阪神大震災15周年を追悼して、茅ヶ崎文化会館小ホール定員300名会場において茅ヶ崎市民のための耐震フォーラムが開催された。
市長のご挨拶で始まりパネラー一人一人のコメントの後に会場との対話キャッチボールが活発に行われることを期待していたが残念ながら参加者からのボールは市長宛の牽制球以外には始球ボールはわずかしか投げ返されなかった。
茅ヶ崎の人は心優しく、人をかき分けマイクを奪う勇気が無かったのか?市長の話で満足したのか?カウントダウンが始まっているのに、この瞬間もしかして足下が揺れ出しているかも知れないのに、何処の人が後悔することになるのか?心優しい人が家族を亡くし一人避難所での暮らしはつらく寂しい悲しいことになるでしょう、兵庫県南部地震(神戸地震)の被害者再現はなんとしても防がねば。
私のできることからしておこう、震災の前の親切心は悲しいかな工務店棟梁の助言は押し売りとしか思われないのであろう。
ちなみにパネラーとしての私のコメントは下記の内容を話させて頂いた。
パネラーコメント(加賀妻編)
私は阪神淡路大震災の直後よりリュックに寝袋携帯食を詰め
壊れかかった神戸港より震源地の淡路島へ渡り、倒れかかった建物の応急危険度判定の道すがら、すさまじく地面が切り裂かれた、段差1メートル程の断層を見ることとなり地震のエネルギーを肌で感じ、このすさまじいパワーは人の力では絶対に、とめられないと実感しました。
調査は地震の爪痕をたどり淡路島より明石海峡を連絡船で戻り須磨区 長田区 兵庫区 神戸 東灘区 芦屋 西宮 と直線距離50キロを応急危険度判定と倒壊原因調査を兼ね結果2週間をかけ調査判定をしながら無残な被災地を縦断しました。
!震災は忘れた頃にやってくると言われてはいますが! 
平成16年新潟県中越地震  平成19年能登半島地震 
そして原子力発電のある柏崎へと地震発生の都度、判定並びに調査のため手弁当で飛び回り、調査のかたわら被災者の方々とふれあい語り合って参りましたが、
!結果得たことは!
地震が起きてしまえば、どなたも地震が発生してから収まるまでは、立つことも、はうこともできず只只床の上をごろごろと転げ回り、おさまって外を見たら周囲の建物が倒壊していた。すなわち家の中から一歩も外には出られない以上、家族の身を守るためには家を倒壊させない工夫をする以外にない。
家が安全であれば苦痛な避難所へ行くことも有りません。
命があれば食料は報道機関の集まる場所、すなわち市役所等に足を運べば救援物資が山のように届きますから食料の備蓄にはさほど費用をかけないでも良いと思います。
先ずは家族の命を守る工夫をしましょう、
既にカウントダウンは始まっている?のかも知れませんから。
濡れ衣の押し売り、耐震対策が理解されにくいのであれば、最悪を考え地震発生後の救援対策に私はシフトする事を考え始めた。
奇しくも神戸では被災地のリアルな写真800枚を展示始めたとの報道情報を得ていたので思うところあり、耐震フォーラム終了後、新幹線のぞみに飛び乗り即神戸写真展に向かうことにした。
流石というか当たり前というか、同じ青年会議所で学んだハットリさんのご立派なコメント、市の職員さん、日頃見ない正装スタイル、それにしても、グラビア写真から飛び出してきたようなパンツスタイルの素敵な女性は建設指導課の人???素晴らしい発見があった。 
気がついたら我が愛妻舞台の最前列で壇上のパネラー、私を見つめていた。
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