阪神淡路大震災手記 ”

昨日は神戸市役所OBの方の阪神淡路大震災のご講演を聞かせて頂いたが私なりの経験談もご披露して少しでも地震の恐ろしさに目を向けてもらえたらと過去の手記をご披露する事にした。
震災が”そろそろ やってくる!
棟梁の目で見た!   阪神淡路大震災手記 ”  2004年9月30日
1995年1月17日午前5時46分(本震)兵庫県南部地震によって引き起こされた阪神・淡路大震災は、きわめて甚大な災害であり最大加速度が800galにも及ぶ記録を観測しており、震度7にも相当する地域がかなり広く分布していた。この地震は、住宅被害が39万棟余(内全壊10万棟)にも及んでおり、とりわけ痛ましいのは5500人を超える人命が犠牲になったことであり、我が国における震災記録史上最大級に属するものであった。
震災直後の一時、木造在来構法住宅が地震に危ないとの誤った報道がなされ我が国の木造住宅の文化もこれまでか?などと大げさに誇張されしかも誤った報道をされたこともありましたが、震災直後の噴煙治まらぬ余震の続く震災地を、応急危険度判定士としてボランテア活動に参加300棟余の地震で倒れかかった建物の調査判定をして来た執筆者の目で見た印象からは、鉄筋コンクリート造も・鉄骨造も含めた建築物一般に対して、最低限現行の建築基準法をじゅんしゅして責任施工してあれば地震で建物が崩壊することはなかったのではと感じております。
その後の木造住宅等震災調査委員会でまとめられた阪神淡路大震災木造住宅等震災調査報告書によると耐震等新建築基準法が確実に守られた建物・金融公庫融資住宅・性能保証登録機構に登録された住宅等は震度7地域であっても倒壊等の被害はなく小破以下の被害にとどまり半数以上は外観も無被害であったと、又構造計算された三階建ての被害は2階建てより少なかったとの 調査報告が木造住宅等震災調査委員会から発表されています。
最近更なる耐震設計基準にもとずく法改正もあり、如何なる構法の建物であってもしっかりとした耐震安全性の管理の出来る工務店の元での施工であれば被害は更に防げることでしょう。
以下は大断層の走る淡路島北丹町から明石海峡を隔てた東灘区・長田区・宝塚市・神戸~西宮と震災建物応急危険度判定士として徒歩でたどり、大工の棟梁の目で見た大地震被災地見聞録である。
まさか日本のテレビで我国自慢の高速道路や新幹線のガードが軒並み落ち、市街地の火災が翌日になっても消えない状況を見ることになるとは正直信じられないことでした。
数日がたち震災建築物・応急危険度判定士が不足し被災建物の被害状況が不明で、非難している人達が家に帰れないという現状が更に報道され、私は浮き足が立ったのでした。
この場合の判定士とは被災建物を判定マニアルにより現地に立ち入り調査し余震等に対して、安全・要注意・危険と分類していき、安全な判定建物には早く被災者を自宅に戻してやる役目と危険な建物には立ち入らないよう近隣の人達にもアドバイスをする事です。
実際にはマニアルでは判断できないことの方が多かったのですが、大工としての長年の経験がこの時ほど我ながら誇らしくも役に立ち、藁をも掴みたい被災者に安全判断や修復方法を求められ、アドバイスし明日に希望を持たせたと自負しています。
地震発生から数日後、判定士としてボランテア参加を神奈川県庁に申請したが民間人には事故の補償が出来ないとの理由で、派遣を拒否された私は民間の旅行保険に危険地域立ち入り特約をつけ加入し、野営覚悟非常食持参で、最小限の大工道具と判定道具を忍ばせ早朝の茅ヶ崎を出発し震災の神戸へと向かった。
新幹線は大阪から先が不通のためか?殆ど人は乗っていず貸し切りのようでしたが、新大阪に着くとそこはもうリックを背負った人の波、電車やバスを乗り継ぎ最後には徒歩で神戸入りを果たしたのは日も落ちた18時頃でしたが幸いにも現地の国際ボランテア協会が私を受け入れて崩壊を免れた協会に根城を提供してくれたのです。
翌日神戸市役所にて判定士の登録を済ませ市の指示に従い被害建物の調査判定を行った。
・淡路島北丹町は震度7の地域で被害がテレビ等で報道されていた地域であり瓦屋根の立派な建物の崩壊がクローズアップされていた、現地へ行って解ったのですが淡路島は日本瓦の生産地と言うこともあり、どんなきゃしゃな構造物にも立派な瓦が乗っていたことでした。しかし同じ北丹町の1㍍もある断層の直近であってもきっちりと作った建物には被害は及ばなかった。
・流石兵庫県芦屋地域はお金持ちが多いのか、競って間口の広い縁側のある屋根の重い建物が多く、それらは地震の恰好の餌食になってしまっていた、原因は単純で、開口部が大きく殆ど壁のない建物を阪神には地震は来ないからと建設したのである。
火事の被害の大きかった長田地区は戦災の復興の後のバラックに外見化粧をし2階への増築をしていったのかと思えた、焼け跡を見ると基礎のコンクリートもなく大谷石が建物の4隅に並んでいる程度であり、焼け跡から建物の規模を推し量ることは出来なかった。
他の地域でも老朽し損壊した建物には白蟻や腐朽した土台が目を引き、見るからにか細い粗悪な梁や、細い通し柱が揺れを吸収しきれずねじ切れるように折れ曲がっていた。
神戸ではビルの崩壊が多く道ばたをふさぐように5階建てほどのビルが転がっていたり神戸市役所のように4階付近がまともにつぶれ5階がそのまま乗っているような普段予想も出来なかった被害建物が目立った、又文化住宅と言い間口が狭く必要開口部確保のため耐力壁を犠牲にした建物は同方向に肩を並べ将棋倒しのように倒れ重なっていた。
又構造に関係なく崩壊を免れた震源地沿いの建物の内部は家具やガラス食器が壊れ散乱し足の踏み場もない状況であった、暗闇の避難で素足に怪我をした人も多くいたようである。
この現象から今後は耐震も重要であるが建物の揺れを緩やかにする・免震工法の住宅に今後は目を向けるべきだと思います、外観のなんでもない建物の室内でグランドピアノのが数メートルも飛び上がり移動し下敷きでなくなった家の室内も立ち入り調査した。
数週間に及んだ見聞を兼ねたボランテアで感じたことは、崩壊建物は崩壊すべきして崩壊した建物であり、法の下に確実にきっちりと施工された建物であれば工法の違いに関係なく崩壊することはないとの確信を得て貴重な体験を土産に帰路へついたのでした。
弊社の建物が骨太で、15㎝の国産桧通し柱にこだわり重要構造材の梁を露出させ、しかも国産桧土台に拘ることで白蟻の被害を防ぎ、ほほずりしたくなるような国産杉桧の美しい木肌の無垢材や自然素材を多用して、シックハウスをも考慮した身体にも優しい施工を心掛けているのは神戸等での貴重な体験から、安全で良質の住宅を造るためには、産地と顔の見える良質の木材供給者までも傘下に、産地直送にこだわり安全にも、構造にも、仕上がりにも、木材の木肌にもこだわって家を造っていくことが工務店の使命だと思います。
又国産の木材を多用することで海、、山を活性化させ二酸化炭素の吸収を促進固定し、地球温暖化を防ぎ地球環境にも人にも優しい建物が出来るのです。
、                        応急危険度判定士  加賀妻憲彦