家を建てようかと思った時に読んでほしい

「住宅に求める理想のすがたとは何だろうと考えた時」

 

家を建てたいと思ったとき、まず頭を悩ますのが、「どこに頼めば良いか?」

夢はあれこれ広がるけれど、その夢が自分たちの予算で実現できるのか?

また、夢をぶち壊すようなところに頼んでしまったらどうしよう、と考えてしまうでしょう

人生の中でも最も高い買い物をするわけですから、夢も大きく、不安も大きくなるのは当然です。

注文住宅を建てるということは最高の贅沢だと思います。オーダーして何かを作るという

ことがあまり無くなってきた時代において、自分たちが生活する家に自分たちの夢を描き、

それを具体的な形にしていくという作業は、その金額の大小にかかわらず、とても贅沢で素敵な

事だと思います。これを楽しまない手はありません。

 

「不思議なことですが、楽しんで家づくりをした人の家を見た時、そのことが家から伝わって

きて、すごく幸せな気持ちになります。」 

 

細かなことにとらわれないで、おおらかな気持ちで、取り組む事も大切なことです。

自分たちの家族にあった快適な環境を実現させながら、しかも、それがエネルギーの無駄使いにつながりにくい住まいをつくることだと思います。

環境や人にやさしく、性能に大きな欠点を作らない家づくり、そんな感じだと思います。

快適と健康、どちらをまず求めるべきかといえば、やはり『健康』の方でしょう。そういう

意味では、まず健康に影響がありそうな事に気をつけながら、その上で快適な家を実現していく

という順番が正しいのではないでしょうか。

 

家の良さは部分では決まりません、トータルデザインという発想がとても大切です。

金太郎飴のごとく、どこを切っても同じ、納得・納得という事でしょう。

へーそうなのだ+ヘーそうなのだ=やっぱりそうだ、自分達の考えていた答えが帰って来る事が大事です。その為にも人任せは駄目です。少しの知識は必要だと思います。そしてきちんと、省エネルギーやCO2の排出削減などの事も考えた家づくり・それが、理想的で「環境にも人にも・優しい、暮らし、良い家」になることだと思います。

 

「健康住宅」という言葉をよく耳にしますが、本当は「不健康にならない住宅」の間違いだと思います。言葉を選ぶ事は大切です。真剣に物事を深く考え取り組んでいる証拠です。言葉とは言霊です。

耳障の良い言葉が安易に多く使われています。

 

家づくり工務店の品格

親方と弟子  棟梁のシステムをもつ事。 それが工務店の存在価値であり、責任であると考えます。

地域の工務店としてやるべきは、第一に建築に携わる後続者、特に若い大工を育てる事です。

自社で育てた大工が真摯に誠実に家づくりを続けていくことが、よりよい住まいを生みだすと

考えています。 親方に付き、毎日朝早くから夢中に頑張っている大工見習いの若い職人達。

素敵な若者達です。弟子を受け取るということは人を育てるということです。親方達の心の試練にもなります。親方は歳を取ったら、リフォーム工事を担当します。受け持った大工棟梁やその弟子達がまたお世話になります。大工リレーです。弟子を育てられる大工を大棟梁と呼んでいます。

加賀妻工務店で育った大工が新築やリフォーム工事のすべてを行う事です。

若い職人達は宝物です。年配の大工さんは、本当は大工にはなりたくなかったが兄弟が多く

進学できず、親から手に職を付けろと言われ、仕方なく大工になったとよく聞きます。裕福な時代に育った、私達には考えづらい事です。加賀妻で修行を積んでいる弟子達は自ら大工になりたいという強い志を持っています。中途半端な気持ちはありません。本当に良い若者達です。

 

しかし今、工務店には若い子供達を育てる余裕がありません。大手の営業力には勝てません。

近年の建築業界に見る過酷なコスト競争と過酷な工期短縮。職人の技術をあまり必要としない工業製品の組み立て。とかく人件費(職人の賃金=職人の手間賃)を省く、手間賃を安く抑える、今現場で働く職人の手間(賃金)がどんどん下がっています。これでは、良い仕事などできません、手を抜くしかないです。1日に2万円貰えていた手間賃が1日1万円。今は腕より価格の時代。大工としての技術や知識など、二の次でとにかく安い労働力が最優先です。手間賃抜き住宅が欠陥住宅の温床です。

昔はどこの町にもいた「町の大工さん」。ちょっとした修理なども気軽に頼めて、とても便利でした。でも最近はこういった工事をしてくれる「大工の棟梁」はいなくなり。地域で身近な存在だった「工務店」も、時代が変わるにつれ、身近な存在ではなくなってきてしまいました。営業が苦手で独自で集客は出来ない。結果大手の下請けに成らざるを得ない。子供達は継承しません。親も勧めません。

見習大工など、大手ハウスメーカーは相手にしてくれません。子供達の夢や希望を叶えられません、日本の文化伝統は職人の(物づくり)であったはずです。憧れの職業、存在としての大工さんを挙げる少年も依然は多く見られました。子供達はサッカー選手に憧れるように、格好良く映った存在でした、しかし、昨今の現場では、大工仕事が組み立て現場となってしまいました。

家を造る存在、それが、大工さんです。大きな家を造ることは、本能的に物を造ることが大好きな男の子にとってはまさに憧れの的でした。

親方と弟子の徒弟制度が常識だった昔は、親方の背中を見て仕事を覚えたとよく聞かされました。

しかし現在のコスト競争、工期短縮、現場でのミスも許されずという状況では、真剣に、大工になりたいと願う若者達を受け入れ、育てられる環境があまりにも少ないです。家を作るのであれば、職人を育て、大切に思ってほしい。ある程度ゆとりを持って見て頂きたい。昔は見習いでも半人前位の手間賃は頂けていたと聞きました。

技術はあるのに、営業はできない、という悩みを抱える工務店が廃業しています。今後は、営業は

上手にできても、きちんとした技術を持つ大工、職人、工務店がなくなってしまいます。そのときになって気づくのでは手遅れです。

欠陥住宅とよく聞きますが、私は手間抜き住宅と言っています。価格競争・工期短縮の結果です。

今現場で働く職人の手間(賃金)がどんどん下がっています。

とかく職人の人件費(職人の賃金=職人の手間賃)を省く、手間賃金を安く抑える、これでは、

良い仕事などできません、手を抜くしかないのです。手間賃抜き住宅が欠陥住宅の温床です。

 

総務省の国勢調査によれば1995年に76万1千人いた大工人口は2010年には39万7千人に減少。

現在では、大工職人の高齢化も進み50代から60代以上の大工が60%を占めているとでています。

さらに東京オリンピックが開催される2020年には21万1千人まで落ち込むと推定されています。

技術の継承も危ぶまれています。このままでは家を建てようとしても、まかせられる大工職人がいなくなってしまいます。工業化製品が進んだ結果、職人の手仕事を奪ってしまい、時間を奪ってしまいました。現場は工業化する流れが進んでいます。

 

大工職人の役割は、木造家屋を一棟建てるとき、その全ての采配を行う責任者であり、

目配り気配りが出来て人望が厚い人。棟梁という地位でした。建築基準法が出来る前までは、

建築設計士であり、現場監督であり、積算者であり経営者でもありました。

 

しかし、昨今の一般住宅では、部材も殆ど工場で生産され、材料の吟味や、鉋や鑿を必要としない工業製品の組立工と言っても過言ではないかもしれません。大工仕事は、ハウスメーカーや建売業者からの依頼で、大工仕事だけの手間を請け負う、仕事へと変貌してしまい、棟梁と呼べる役割が消滅してしまいました。気配り目配りをして現場を束ねる棟梁という、責任者の意識は無くなってしまいました。親方と弟子という、修業期間の師弟制度も存在しなくなっています。

企業やメーカーは職人の仕事を奪い、お金も奪い、人を育てる時間まで奪っています。

こんな状況では「本物の職人が育つ」環境ではありません。

 

家造りに職人がいなくなれば、家は建てられません。ハウスメーカーも建売業者も同じです。でも、彼らは職人を育ててはいません。販売と利益が最優先です。

 

工務店が、昔の流れに回帰するチャレンジをする事が、次の時代の家造りであって欲しい。

 

妹尾喜浩