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加賀妻の耐震

リフォーム計画は耐震診断から

昭和56年(1981年)以前に建築された旧耐震基準建物は地震に対する抵抗力が少なく最近起きている地震クラスの揺れには持ちこたえる確率はとても小さく倒壊する危険があります。
これは阪神淡路大震災の被害を検証した結果から、56年以前に建築されたすべての構造体建物において倒壊の危険があると結論が出され、国を挙げて住宅からビルまで耐震補強の緊急性を訴えています。
また新耐震基準建物であっても平成12年(2000年)までの住宅においては柱や筋交いの接続金物の強度や施工性に信頼性が薄く、耐震調査では残念ながら建物の保有構造耐力は倒壊の可能性の少ない(1,0)に満たない、倒壊の可能性ある診断結果となっています。



診断の流れ - 耐震診断

 

1.訪問・説明

専任の耐震診断士がうかがいます。
実施する耐震診断の内容や建築基準法の簡単な説明。
ご質問があれば、お気軽にどうぞ。

2.間取り・壁材の確認

現状の保有耐力(建物の強さ)を計算する為に、すべての壁の材質の確認と、
耐力壁の配置のバランスを計算する為の、間取り確認をします。

3.小屋裏チェック

雨が漏って構造材が腐食していないか、筋交いは入っているのか、かすがいは、金物は・・・。
柱の結合部もチェックします。

4.床下チェック

柱・土台の腐食を確認すると共に、接合部どうなっているか、筋交いはあるのか?

5.基礎のチェック

基礎にクラックがないかチェックします。

6.外壁・屋根のチェック

外壁のクラック・浮き・耐力を計算する為の材質チェック。
屋根の材質・葺き方。建物の重量計算に必要です。

ご不明な点がございましたら、お電話もしくはメールにてお問い合せ下さい。

 



“忍び寄る震災” カウントダウンが始まった!

「棟梁の目で見た大震災」(体験手記・藤沢法人会広報委員 加賀妻憲彦(建築士事務所協会所属)

阪神淡路大震災から9年後の2004年秋、原稿依頼を受けショッキングな見出しで書き始めた阪神淡路大震災見聞録 ・1995年1月17日午前5時46分(本震)兵庫県南部地震によって引き起こされた阪神・淡路大震災は、きわめて甚大な災害であり最大加速度が800galにも及ぶ記録を観測しており、震度7にも相当する(気象庁が日本の地震では初めて表現)地域がかなり広く分布していた。この地震は、住宅被害が39万棟余(内全壊10万棟)にも及んでおり、とりわけ
痛ましいのは5500人を超える人命が犠牲になったことであり、我が国における震災記録史上最大級に属するものであった。

震災直後の一時、木造在来構法住宅が地震に危ないとの誤った報道がなされたため、我が国の木造住宅の文化もこれまでか?などと大げさに誇張され木造危うしとの誤解を招く結果となった。
震災直後の噴煙治まらぬ余震の続く震災地を、応急危険度判定士としてボランテア活動に従事、300棟余の地震で倒れかかった建物の調査判定を行ってきた筆者の目で見た印象からは1981年以降の新築または新基準を参考に修繕補強された建築物が最低限当時の建築基準法を遵守、責任施工されている建物であれば、木構造も鉄筋コンクリート造も鉄骨造も、地震で建物が崩壊することは少なかったのではと感じております。
大断層の走る淡路島北丹町から明石海峡を隔てた東灘区・長田区・宝塚市・神戸~西宮と震災建物応急危険度判定士として徒歩でたどり、大工の棟梁の目で見た大地震被災地見聞録の書き上がった2004年秋、まさか現実に震災が襲ってきたとは!

新潟県中越地震発生”の一報はテレビでその後の状況も逐次知ることができたが、またもや木造建物の下敷きになった車がテレビ等でクローズアップ、それらの情報に疑問を感じつくり手である棟梁の目で真実を確かめるべく又被災地への救援の目的も含め震災建物応急危険度判定士として現地入りを果たし十日町市役所に登録し判定業務の合間に被害の大きかった小地谷、堀之内へと倒壊原因調査を行った。十日町は豪雪地帯であり建物は頑丈に建てられ私の受け持ち判定地域では赤紙を張るような被害はなかった。
小地谷地区では農家の庭に被害のない新しい建物と倒壊した古い納屋が並んでいるのが目立った、不要となった母屋の重要な柱壁を取り除き納屋として使用したために倒壊してしまったのである、テレビ報道で建物の下敷きになっている車が写り、人的被害が少なかったのは廃墟に近い改造建物被害のためである。山古志村に続く堀之内一帯は山崩れが原因の建物被害が目立ち滞在中に土石流の危険が発生強制避難勧告を受ける事もあった。

2007年春なぜ!能登半島”に、災害は忘れた頃にやってくるの伝えもあるが、予期しない場所に地震発生、今回は倒壊原因調査に目的を絞り金沢空港から震災救援臨時バス、タクシーにて門前、穴水、輪島へと抜け目的を果たした。倒壊原因は日本海の強風に耐える特別重い瓦屋根と判断した。
そして再び新潟柏崎へ刈羽村の原子力発電所被害に関心が移ったが、三職人と工事車両を持ち込み応急補強の救援を兼ね倒壊調査を行ったがやはり重い瓦屋根の被害が目立った。


そして魔手は東海~東北~!

まさか”これほどの津波が日本を襲うとは
テレビに映った津波の去った痕、広大な被災地に白い構造物が目立ち建物跡の基礎コンクリートであろうと直感したのであるが津波被害が建物にどのように影響し崩壊していったのか?高速道路の開通を待ち調査道具やヘルメット、被災地へ出向く鉄則、現地では手に入りにくい食料(にぎりめし)飲料水をリックに詰め深夜バスで仙台へ、6時間後には早朝の仙台駅に到着。タクシーをチャーターし仙台、東松島、女川、石巻、陸前高田へと調査を進め建物被害の状況を精査し、白い被写体の正体と建物崩壊原因究明を続けていったのです。
湘南地方を襲う津波の高さ10m~5mと予測した場合海岸線の海抜が7m~5m程度であろうから、住宅地に流れ込む海水高さは最悪3m程度ではなかろうか?
今回の調査から得た知識から、湘南地方の予測される津波ではしっかりと耐震補強をされた建物であれば恐れずに足らず、人命を守るため高台に避難することは必要だが建物については津波で流出することはないのではと思うのです。

そして予期せぬ天災が今度は空”からやってきた!

災害勃発翌日筑波エキスプレスに乗り研究都市筑波へ、そこからバスに揺られ2時間ほどで竜巻被害のまっただ中筑波山の麓へ、東日本の津波同様、筑波の現状はテレビ報道そのままであった。
不幸にして建物崩壊により犠牲を出してしまった建物の構造は木製プレハブ軽量パネル住宅でした、建物が軽量の為なのか?
建物はべた基礎を付けたまま浮き上がり10m程先の田に反転し屋根を下にして落下基礎の重さも影響してか無残な崩壊現場でした。
調査範囲で全壊した建物は2棟、そのいずれもが構造は2×4風パネル住宅であったことが竜巻との相性の悪さなのか?ふと脳裏をかすめ!また外壁をはがされた半壊建物は外断熱工法で作られた為か、柱とサイディング壁が断熱材を境に肌別れして落下した建物が多いように見えたのです。


 ”忍びよる震災”天災”次なる発生はいずこの町に!






1:平成7年1月17日早朝、兵庫県南部地震発生。直後より応急危険度判定士として建物倒壊原因調査に参加協力。
2:倒壊した建物には、鉄骨造りも、コンクリート造りも木造も倒壊する原因があり、中には人災も含まれていた。
3:地震では2階より1階が倒壊し、多くの人が下敷きになった。
4:新しい家でも、屋根の重さと施工ミスが重なれば倒壊する。人物は調査協力中の弊社社員。
5:筋交い不足で、通し柱が破損した木造だから復旧は可能。
6:火災で全壊した長門地区を調査中の弊社現社長。
7:5階部分が破壊した神戸市役所と、免震工法のリクルートビル。
8:調査現場で被災者、神戸市民の相談に答える、棟梁加賀妻。

 

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