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被災地支援と復興への想い Thoughts on Reconstruction

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応急危険度判定士としてお伝えしたいこと
加賀妻工務店 代表取締役会長 加賀妻 憲彦(建築士事務所協会所属 藤沢法人会広報委員)


応急危険度判定とは、地震後、余震等による建築物の倒壊や落下物、転倒物による二次災害を防止するため、できる限り早く、短時間で建築物の被災状況を調査し、当面の使用の可否について判定するものです。 私はこの応急危険度判定士として、阪神淡路大震災、新潟県中越地震、能登半島沖地震、新潟県中越沖地震、東日本大震災、など多くの被災地を訪れました。

いずれも倒壊した多くの建物は木造で「木造住宅は耐震性が弱い」という認識が一般化してしまったようです。しかし、大地震で倒壊した建物の多くは、現建築基準法からかけ離れているもので、現建築基準法に準拠した木造住宅の倒壊は皆無でした。これは、木造住宅の倒壊は人災でない限り起こり得ないことを物語っています。建物は倒壊しなくとも、大震災が起これば家具、棚、食器など多くのものが壊れ飛び散りますので、それらへの安全配慮も必要になります。また、水道や電気などの公的なライフラインが途絶えることも多い。これらのことを鑑み、今後の家づくりやリフォームをする際に考えておきたいポイントを3つほどお伝えさせてください。

1:建築基準法に適合した家、構造計算を適正に行った家を建てること。

2:落下物を最小限にするため、免震装置を備えた家にすること。

3:数日でもライフラインに頼らなくてもよいように、太陽光発電、温水装置、風力発電、雨水回収タンクなど、創エネ機能がある家にすること。

地震大国日本。30年以内に首都直下型地震が起こる確率は70%、東海地震が起こる確率は87%、と内閣府では発表しています。日本の気候風土に適し、五感に優しい木造住宅。この素晴らしい家に住み続けるために、大地震に負けない安全性をきちんと担保する対策をとって頂きたい。心より強く願っております。

棟梁の震災レポート


阪神淡路大震災 _1990.1.7

阪神淡路大震災

忍び寄る震災”カウントダウンが始まった「棟梁の目で見た大震災」


阪神淡路大震災から9年後の2004年秋、原稿依頼を受けショッキングな見出しで書き始めた阪神淡路大震災見聞録。1995年1月17日午前5時46分(本震)兵庫県南部地震によって引き起こされた阪神・淡路大震災は、きわめて甚大な災害であり最大加速度が800galにも及ぶ記録を観測しており、震度7にも相当する(気象庁が日本の地震では初めて表現)地域がかなり広く分布していた。この地震は、住宅被害が39万棟余(内全壊10万棟)にも及んでおり、とりわけ痛ましいのは5500人を超える人命が犠牲になったことであり、我が国における震災記録史上最大級に属するものであった。

震災直後の一時、木造在来構法住宅が地震に危ないとの誤った報道がなされたため、我が国の木造住宅の文化もこれまでか?などと大げさに誇張され木造危うしとの誤解を招く結果となった。 震災直後の噴煙治まらぬ余震の続く震災地を、応急危険度判定士としてボランテア活動に従事、300棟余の地震で倒れかかった建物の調査判定を行ってきた筆者の目で見た印象からは1981年以降の新築または新基準を参考に修繕補強された建築物が最低限当時の建築基準法を遵守、責任施工されている建物であれば、木構造も鉄筋コンクリート造も鉄骨造も、地震で建物が崩壊することは少なかったのではと感じております。

大断層の走る淡路島北丹町から明石海峡を隔てた東灘区・長田区・宝塚市・神戸~西宮と震災建物応急危険度判定士として徒歩でたどり、大工の棟梁の目で見た大地震被災地見聞録の書き上がった2004年秋、まさか現実に震災が襲ってきたとは!

新潟県中越地震 _2004.10.23

新潟県中越地震

“新潟県中越地震発生”の一報はテレビでその後の状況も逐次知ることができたが、またもや木造建物の下敷きになった車がテレビ等でクローズアップ、それらの情報に疑問を感じつくり手である棟梁の目で真実を確かめるべく又被災地への救援の目的も含め震災建物応急危険度判定士として現地入りを果たし十日町市役所に登録し判定業務の合間に被害の大きかった小地谷、堀之内へと倒壊原因調査を行った。十日町は豪雪地帯であり建物は頑丈に建てられ私の受け持ち判定地域では赤紙を張るような被害はなかった。
小地谷地区では農家の庭に被害のない新しい建物と倒壊した古い納屋が並んでいるのが目立った、不要となった母屋の重要な柱壁を取り除き納屋として使用したために倒壊してしまったのである、テレビ報道で建物の下敷きになっている車が写り、人的被害が少なかったのは廃墟に近い改造建物被害のためである。山古志村に続く堀之内一帯は山崩れが原因の建物被害が目立ち滞在中に土石流の危険が発生強制避難勧告を受ける事もあった。

能登半島沖地震 _2007.3.25

能登半島沖地震

“2007年春なぜ!能登半島”に、災害は忘れた頃にやってくるの伝えもあるが、予期しない場所に地震発生、今回は倒壊原因調査に目的を絞り金沢空港から震災救援臨時バス、タクシーにて門前、穴水、輪島へと抜け目的を果たした。倒壊原因は日本海の強風に耐える特別重い瓦屋根と判断した。
そして再び新潟柏崎へ刈羽村の原子力発電所被害に関心が移ったが、三職人と工事車両を持ち込み応急補強の救援を兼ね倒壊調査を行ったがやはり重い瓦屋根の被害が目立った。

新潟県中越沖地震 _2007.7.16

新潟県中越沖地震

東日本大震災 _2011.3.11

東日本大震災

「そして魔手は東海~東北へ」


まさか”これほどの津波が日本を襲うとは…
テレビに映った津波の去った痕、広大な被災地に白い構造物が目立ち建物跡の基礎コンクリートであろうと直感したのであるが津波被害が建物にどのように影響し崩壊していったのか?高速道路の開通を待ち調査道具やヘルメット、被災地へ出向く鉄則、現地では手に入りにくい食料(にぎりめし)飲料水をリックに詰め深夜バスで仙台へ、6時間後には早朝の仙台駅に到着。タクシーをチャーターし仙台、東松島、女川、石巻、陸前高田へと調査を進め建物被害の状況を精査し、白い被写体の正体と建物崩壊原因究明を続けていったのです。

湘南地方を襲う津波の高さ10m~5mと予測した場合海岸線の海抜が7m~5m程度であろうから、住宅地に流れ込む海水高さは最悪3m程度ではなかろうか?今回の調査から得た知識から、湘南地方の予測される津波ではしっかりと耐震補強をされた建物であれば恐れずに足らず、人命を守るため高台に避難することは必要だが建物については津波で流出することはないのではと思うのです。

そして予期せぬ天災が今度は空”からやってきた!
災害勃発翌日筑波エキスプレスに乗り研究都市筑波へ、そこからバスに揺られ2時間ほどで竜巻被害のまっただ中筑波山の麓へ、東日本の津波同様、筑波の現状はテレビ報道そのままであった。不幸にして建物崩壊により犠牲を出してしまった建物の構造は木製プレハブ軽量パネル住宅でした、建物が軽量の為なのか?建物はべた基礎を付けたまま浮き上がり10m程先の田に反転し屋根を下にして落下基礎の重さも影響してか無残な崩壊現場でした。

調査範囲で全壊した建物は2棟、そのいずれもが構造は2×4風パネル住宅であったことが竜巻との相性の悪さなのか?ふと脳裏をかすめ!また外壁をはがされた半壊建物は外断熱工法で作られた為か、柱とサイディング壁が断熱材を境に肌別れして落下した建物が多いように見えたのです。

長野県神城断層地震 _2014.11.22

長野県神城断層地震

熊本地震 _2016.4.16

熊本地震